2011年3月11日(金)午後2時46分は我々日本人にとって決して忘れることのできない一日となりました。
私は東京・神田において特許事務所を営んでいる弁理士の和田成則と申しますが、この度の三陸沖で発生した2011年東北地方太平洋沖地震(以下「東北・関東大震災」といいます)はマグニチュード9,0、東西約200km、 南北約500kmにわたり、その範囲は青森県、岩手県、宮城県、福島県、茨城県、群馬県、栃木県、千葉県、東京都等の一都九県にまで及んでおります。また、この地震は869年(貞観11年)に宮城から福島にかけての太平洋沖で発生したM8.4の貞観地震の推定震源域と類似しており、1,000年に一度の未曾有の大地震であります。
この東北・関東大震災は大きな地震とともに津波を伴い、更には福島原発の放射能汚染という惨事も重なり、正に三重苦とも言うべきものであり、この地震による人的被害は「死者10,804人、行方不明者16,244人、負傷者2,776人」と報道されています(3月28日日本経済新聞朝刊より)。
更に、津波で自宅などをなくした方々約24万人が現在も被災者として各地で不自由な避難所生活を送っているとのことですが、私は一日も早く水、電気、ガス、道路、燃料等のインフラが整備され、元の生活に復帰されることを切に願望しております。
私は津波の本当の恐ろしさは知りませんでしたが、映像で仙台空港に津波が大蛇の如く忍び寄って車等を飲み込むさまを見たとき、釜石港のあの頑丈な防潮堤を乗り越えて13m以上の津波が襲い、人、家、車をあっという間に飲み込んでしまうさまを見たとき、更には福島原発の背後から黒い山のような16m以上の津波が襲い、原発の建屋を飲み込んでしまうさまを見たとき、人間として如何ともし難い自然の脅威を感じました。
私は以前家族で松島、釜石、仙台等を尋ねたことがありますが、いま、あの風光明媚な松島はどうなっているのでしょうか、釜石のおいしい魚はまた食べられるのでしょうか、仙台の銀天街は大丈夫だったでしょうか、妻と二人で見に行ったあのきれいな仙台のイルミネーションは今年も見られるのでしょうか、東北は日本の故郷でもあります。
この災害が落ち着いたときには、再度東北地方を妻と一緒に尋ねてみたいと思いますが、被災者の皆さん、どうかお気を強く持たれてこの困難を乗り越えていただきたいと存知ます。私も微力ではありますが、日本弁理士会等を通じて応援させていただきたいと思っておりますとともに、被災者の方々は決して一人ではありません。
この災害で亡くなられた方々には、謹んでご冥福をお祈り申し上げますとともに、ご遺族の方々には心からお悔やみ申し上げます。
また、被災された方々には衷心よりお見舞い申し上げます。
「朝の来ない夜はない」「止まない雨はない」という言葉がありますが、被災者の方々にはどうかお体ご自愛のうえ、希望を捨てずに、またお一人でないことをご理解いただきたいと思います。
駄文ではございますが、東京からお見舞いの言葉とさせていただきます。
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